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741件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2002-03-12 第154回国会 参議院 予算委員会 第10号

そのときに、砂田さんがまだ国会議員でなくて河野一郎さんの秘書で、初めての日ソ漁業交渉第一回行ったんですよ。そのときに、アイスホッケー参加させてくれと。ところが、行くことが、ルートがないから、自民党の政調に津村さんといった、この人も私の大学の先輩砂田さんも立教大学のアイスホッケーの先輩。この人が中国全部アレンジしてくれて、そうして二か月遠征して帰ってきた。

田名部匡省

2001-10-11 第153回国会 衆議院 本会議 第6号

(拍手)  先生は、みずから進んで政治部記者となり、昭和三十一年の第一回日ソ漁業交渉報道特派員となり、河野一郎農林大臣に同行することになりました。  一カ月余りのモスクワ滞在中に、ますます政治家たらんとの決意を固められた先生は、一九六〇年に、みずから東北のケネディと名乗り、三十六歳の若さで宮城一区から見事に当選されました。

渡部恒三

1992-12-01 第125回国会 衆議院 予算委員会 第7号

あの日ソ漁業交渉での沖取り禁止等減船もございました。あるいは、二百海里設定のあの際には、莫大な減船措置をして救済資金を出したわけですけれども、今回の場合は強制的にやられたのでありますから、それに伴う措置は当然負担をすべきではないか。  しかも、これは自治大臣の方も関連があるのでしょうが、この一億三千四百四十万円のうち二千四百三十万円が都道府県の何か持ち分になっているようですね、負担分

新盛辰雄

1992-01-10 第122回国会 衆議院 農林水産委員会 第4号

倉田委員 もう一つ、日ソ漁業交渉の結果についてお伺いしたいと思います。  関連する問題になろうかと思いますけれども、昨年十二月十六日から日ソ漁業交渉が行われ、二十七日に合意をしたと聞いております。もう旧ソ連といいますか、いろいろ国内の変革によって大変な御苦労もあったと思いますが、どのような結果になったのかまずお知らせを願いたい。  

倉田栄喜

1991-04-23 第120回国会 参議院 農林水産委員会 第9号

その人たちを一体どこで操業させるかという問題が今後日ソ漁業交渉の中に入るわけでございまして、ここは関係者皆その面での御理解はいただいておる、こう思うわけであります。  私がここで、断固公海禁止しない、こう言ってしまった方がいいのか、今後の交渉にひとつ任せていただきたいと言うのがいいのか、正直答えに悩むんです。

近藤元次

1990-06-12 第118回国会 衆議院 農林水産委員会 第14号

また、底魚等についても毎年の日ソ漁業交渉の枠がだんだん狭められておるというのが現状でございます。さらに、日本の二百海里内では外国漁船の不法な操業等によりまして資源が危機的な状況にある、海外の漁場もだんだん狭められておるということや、さらにまた、国内的な二百海里内の操業につきましても資源が非常に危機的状況の中にあるという中で今回このような事件が起きたわけであります。

藤原房雄

1990-06-01 第118回国会 参議院 運輸委員会 第2号

説明員田家邦明君) 先生御指摘のとおり、我が国北洋サケマス漁業につきましては毎年日ソ漁業交渉を行いまして漁獲量等操業条件を設定して、そのもとで操業が行われているところでございます。その関係で、ソ連側が一九九二年以降のいわゆる沖取りの廃止の主張を行っておりまして、現在はその方針に従ってむしろ対日漁獲量を段階的に縮小していくというような態度をとっております。  

田家邦明

1990-05-28 第118回国会 参議院 予算委員会 第14号

合馬敬君 国際交渉は非常に厳しいものがございまして、私もソ連におりましたときに日ソ漁業交渉でやりました。国内の調整のほかに、外国でやりますとこれまた大変な厳しいものがあるわけでございまして、なかなか今のように一粒でも米を入れさせないとか、そういった感情的な物の言い方ではとても律し切れないものがあると思います。

合馬敬

1990-04-27 第118回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第2号

山本国務大臣 日ソ漁業交渉がかねての経過を踏まえて年々歳々厳しさを増している。それから、今水産庁長官からもお話がありましたけれども、二年後の沖取り禁止、私どもは本当に理不尽だというふうに考えておりまして、これについても声を大にしながらソ連側に対してこれからも交渉を続けたい、こう思っておりますけれども、しかし、状況全体が厳しいことはもう間違いない。

山本富雄

1990-04-27 第118回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第2号

そういう意味からすると、これまでサケマスだけじゃなくていわゆる日ソ漁業交渉全般について、どうもどちらかというと日本側はずっと受け身に立たされているという感じ、それは漁業に携わっている人々や我々も受けとめている感じなんですけれども、前の六十一年には羽田農林水産大臣が行っていらっしゃいますね。

鈴木久

1990-04-20 第118回国会 衆議院 予算委員会 第12号

これから先また日ソ漁業交渉でどう削減になるか、これは大変なことなんです。この補償をめぐりまして、今おっしゃいましたように、現在の国際社会における我が国の立場も考えた上で、科学的根拠漁獲実績をもとにした外交交渉によって我が国国際漁業の存続を確保することが必ずしも可能な状態でなくて、漁業の種類によっては縮減やむなしとの判断もせざるを得ない。

新盛辰雄

1990-04-12 第118回国会 衆議院 予算委員会 第9号

しかも日ソ漁業交渉では、御承知のようにもはや九二年に一切公海上でのサケマス漁業をしてはならない、こんな仕打ちをしてソ連の方もやってくる。そして、アメリカはこれまでも何回か日本母船式サケマス漁業に対する注文もつけてきましたが、今外務大臣が非常に頭を悩ましている、例の、国連でも話題になっています流し網の禁止、これもその原点はアメリカにあるわけであります。  

新盛辰雄

1989-11-14 第116回国会 衆議院 農林水産委員会 第1号

これからまた行われます日ソ漁業交渉これもまた現状を下回ることのないようにぜひひとつしっかりお取り組みをいただきたい。  それから、今こういう時代になりますと、もう日本海なんというのは一つの湖みたいなもので、日本海資源調査ということは非常に大事なことだと言われておりますし、皆さん方もその認識は同じだろうと思います。

藤原房雄

1988-05-13 第112回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第6号

宇野国務大臣 日ソ漁業交渉はことしもまたいろいろと問題多かりし年であったのでございますが、ようやく合意にこぎつけまして、昨年より三日早く五月二十五日出港というふうな段取りになりました。今後もますます精力的にこの交渉は続けていかなければならない、かように思っております。ソビエトの方はややもすれば期限を切りたいという話もございますが、今回はそういう話もつなぐということに相なっております。  

宇野宗佑

1988-04-26 第112回国会 衆議院 農林水産委員会 第9号

それから最後に、日ソ漁業交渉が先般来始まっておりますが、この日ソ漁業交渉の見通しというか、五月に入るともう漁期に、出漁の段階に入るのだと思いますが、それまでに何としても話をつけなければいけぬのだと思いますが、どういうふうになっておるか、要点で結構ですから御報告いただいて、終わりたいと思います。

田中恒利

1988-03-28 第112回国会 参議院 農林水産委員会 第5号

にありまして、やはりそれぞれの国々がおっしゃるのも御自由でございますけれども、我が方も我が方の食糧政策を曲げてまで応ずるわけにはいかぬという問題もあるわけでございまして、特に地域農政、このことを考えれば地域ごとに丁寧にまた私どもは議論をし、再構築をしていかなければなりませんし、対外的にはやはり我が国の事情というものを説明をしながらこの厳しい困難な時代を克服していく、それはアメリカだけではなくて、日ソ漁業交渉

佐藤隆